生活保護制度からベーシックインカムへ

管理人のメモ置き場
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生活保護制度からベーシックインカム制度へ

コロナウイルスの世界的流行と、その対策としてのロックダウン・経済活動の抑止によって、これからさらに、家業や生計が破綻し生活できなくなる人たちが急増していくことが予想されます。

そしてその流れから、先進国であれば日本で言うところの生活保護制度の利用者が急増し、もはや差別なくすべての人が生きられるようにする国家によるセーフティネットが存在すべき、との世論・趨勢から、すべての人間の生存を保証するユニバーサル・ベーシックインカム制度が間もなく実現することになるのではないかとも考えられます。

このベーシックインカム制度の実現、この制度の実現は現時点では人類にとって早過ぎるのでしょうか?

いいえ、そうではありません。遅すぎたのです。

例えば自殺者の数は現在、日本において年間2万〜3万人程度、世界全体では年間80万人程度という人数に昇っていますが、その原因の上位を占めるのは経済的問題であり、生活が成り立たないことによって自殺以外に選択肢がないと考えたがゆえの結果です。

また、自殺を実際に実行するまでに至らなかったとしても、経済的問題を原因として精神的に疲労困憊し、あるいは精神不安定・鬱病状態となり、苦悩している方も相当数おられることでしょう。

さらには、日本においては「自殺、他殺、事故死のいずれか不明の時は自殺以外で処理(自殺者数に計上しない)」とされ、本当は自殺であったにも関わらず明確な客観的証拠がないために自殺ではなく事故死等にカウントされてしまっているケースも決して少なくないと考えられます。

完遂までに至らなかった自殺未遂者の数も含めると、自殺者・潜在的自殺者数の数は衝撃的な数にまで昇ることが指摘されています。(参考:日経ビジネス記事 自殺未遂50万人の衝撃…私たちの「一言」の功罪

また、海外に目を向けると例えばインドで社会問題となっている農業関係者の自殺において、その原因は破産や負債など経済・借金問題が半数以上です。(参考:SankeiBiz インド、農家の借金を帳消しへ 自殺者の9.4%占め、社会問題に

これまでに本当に多くの、本当は救うことができたはずの命が失われました。そしてすでに失われた命は二度と取り返すことができません。

私たちはこれらの問題をこれからも「仕方がない」の一言で片付け、考えないように避け続ける態度を取るのでしょうか?

すでに人口あたりの消費を上回る食糧が生産されている

実は地球上ではすでに人口を大幅に上回る量の食糧が生産されています。

それでも今なお、この地球上では3割の人たちがその日のための十分な食料が得られず飢え栄養不足であり、また他方で別の3割の人たちは飽食により肥満などの生活習慣病を患っているのです。

100人の村の例で例えれば、同じ村で30人の隣人が飢えて栄養失調でいるのに、かたや別の30人の村人たちは食べ過ぎによる肥満等の生活習慣病を患っています。こんな不条理なことがあるでしょうか?

一体なぜなのでしょう?十分に生産されているその食糧を必要な人たちにちゃんと分配することができれば飢える人は出ないはずなのです。

また、消費しきれないはずのその余った食糧は一体どこに消えているのでしょうか?

実はその大量生産された穀物を主とする食糧は主に肉牛などの家畜に回されています。

それはすでに十分豊かな人たちが、肉食を楽しむための家畜飼育に供される飼料であり、またこのために南米アマゾン地域の熱帯雨林も急速なスピードで伐採され続けています。

人間はその歯の特徴からもわかるとおり、基本的に草食(植物性食品)中心の動物です。また肉食、特に牛などの哺乳類を食べることは共食いとも言え決して良いことではありません。

(一時期問題となった狂牛病は牛に牛(肉骨粉)を食べさせるということをおこなった結果、牛の体内のタンパク質が異常変化した病気です。生命はできるだけ自分から遠い種を食べるべきです。遠い順に植物・昆虫(甲殻類等)・魚・鶏・哺乳類。)

意味のある仕事がしたいと思っているのになぜできないのか

また世の中の少なくない人たちが、本当は望んでいないにも関わらず、社会のためにあまり役に立っているとは言えない、どころか場合によってはむしろ有害でさえあると言えるような仕事を生活のためにやむなく行っています。

本来、仕事とは人類社会の幸福への貢献を目的に行われるべきはずのものではないでしょうか。それが今では現行の経済・社会システムを維持するためだけに、あるいは持てる人をより豊かにするためだけに、多くの人が本当にやりたいことではない、意義を感じられない仕事を生活のために仕方なく続けています。

本当は人のために役立つ仕事がしたいと思っていても、経済的に余裕がなく生きることだけで精一杯であれば、現実的には「収入にならないボランティア活動や人助けをしている場合じゃない」状態であり、今目の前にある仕事がどんなに不毛で社会的に意義がないものであっても、やらざるを得ない状況に置かれてしまいます。

結局、ボランティアや本当の意味での福祉・人助けに向かうのは、経済的に一定以上余力のある人のみに留まるのが現状ではないでしょうか。

ベーシックインカムの導入でこれが劇的に変わります。人類史上初めて、本当に自分のやりたいことができるようになる社会が実現するのです。

ベーシックインカムが導入・実現された暁には、自殺者数も、社会のためにならない不本意な労働も、経済的に生活が保障されることによって激減し、結果的には自殺防止や犯罪の抑止、社会モラル・意識の向上につながるでしょう。

今まで生活のためにやむを得ず行っていた不本意な仕事を辞め、自分が本当にやりたかったことや本当に社会人類のために意味のある活動に取り組むことができるようになる可能性はぐっと高まります。

そしてそんな社会の中で生きられれば、もっと生きる意味や充実感を感じられるようになり、自分の好きなことややりたいことを通じて社会貢献し経済的にも豊かになっていくことも現実に可能な社会になっていくはずです。

ベーシックインカムの意義・インパクト

それだけではありません。貧しさゆえに犯罪を犯す人も減ります。(世界的にベーシックインカムが実現した場合は特にそうでしょう。)

現在の経済モデル・産業構造をこれまでと同じように維持し回し続ける、それ自体のためだけに膨大な犠牲やムダが発生しています

また、共産主義や生活保護と比較した場合、ベーシックインカムでは人々は勤労意欲を失わないということも重要な違いです。

現在の生活保護制度では収入がある場合、支給される保護額が減らされ相殺されてしまいます。つまり働いても働かなくても貰える金額は同じなのです。これでは「ならば働かない方が得」ということになり、労働意欲を喪失してしまうことは避けられないでしょう。

一方ベーシックインカムでは、働いたらその分の収入はそのまま自分の収入になります。これは働いたらその分収入が得られるという、これまでのあり方とまったく変わりません。

加えて最低限の生活は保証されているわけですから、自分が本来望んでいない仕事を引き受ける必要も減り、本当に自分がやりたかった仕事が選びやすくなるわけです。

あるいは起業するにしろ、芸術・創作・アーティスト活動にしろ、最低限の生活が保証されている状態なので、新しいことに圧倒的にチャレンジしやすくなります。

そこからは新たな多くのイノベーションや創造、生きがいや社会の変革が生まれるのではないでしょうか。

最低限の生活が保証されることによって、本当の意味での仕事=人類社会への何らかの貢献活動や、夢実現に向かう生き方・生きる意義ややりがいを感じられる仕事をすべての人が選べるようになります。

前節で「遅すぎた」と書きました。しかし前言を撤回します。どんなことでも決して遅すぎるということはありません。

WHOなどの国際保健機関は今回のパンデミックの影響のもと、これからうつ病や自殺などメンタルヘルスの危機が起こりつつあると警鐘を鳴らしています。

本来必要ないはずの死の危険から多くの命を救い、できるだけ多くの人に生きる意味ややりがい・生きがいを見出だせる人生を送ってもらうためにも、ベーシックインカム制度、または類似の「いのちに対して最低限必要な保護を与える何らかの仕組み」を確立すること。

これは人類の精神的進化にとって必然の流れであり、弱肉強食とさほど変わらない精神レベルからついに脱却し、基本的人権の一部として今後捉えられるべき時に来ているのではないでしょうか。

ベーシックインカムの潜在的問題点

ではベーシックインカムには問題点はないのでしょうか?

財源の問題などは他所でも多く議論されているので譲るとして、確かに別の問題が出てくることはあり得ます。

まず、例えばユヴァル・ノア・ハラリ氏が指摘しているように、ユニバーサル・ベーシックインカムのユニバーサルとは「世界共通の・普遍的な」と言う意味ですが、現実的にはまずは先進国などの一部の国々で実現されることになるでしょう。そうなった場合、まだ実現していない他の国の人々からみれば圧倒的な不公平感を感じることはあり得ますし、貧しい周辺国から先に実現した国々へベーシックインカム受給・恩恵の可能性を求めて、今よりもさらに大量の移民が押し寄せる可能性があります。

また別の問題として、人口過剰問題もあります。

現在の世界人口はすでに70億人、2055年頃には100億人となることが予測されています。すでに人間の数はこの地球上において増え過ぎており、特に現在のままの消費型経済モデル中心・肉食中心のライフスタイルを改めないならば、地球の資源、特に真水やきれいな空気(酸素)、森林など生命を維持する上で必須の資源が枯渇することが危惧されています。

もし人々の生活が保証され、飢える心配がないのならば人は安心して今よりも子供を作るようになるかもしれません。そして特に、産児制限などの意識・概念が根付いていない途上国やコミュニティ・文化社会の中で増え続ける一方になる可能性があります。

それによって自然環境の破壊はさらに加速する可能性もあります。

そういった事態にならないためにも、人類は自らの生殖能力や生殖行動を理性によって抑制・制御できるのか、さらには自主的に自身の生殖能力や性的能力を取り除くなどの選択を迫られる、といった状況も起こり得る重要な問題になってくるかもしれません。

新しい世界へ向けて

今、目の前に食べるものがない、という状況に置かれた人に精神的な教えやスピリチュアルを説くことは残酷なことであり間違っています。まずは最低限生きられるようにしなければなりません。そういった状況の人に形而上学の教えを説いたり、スピリチュアルについて語ることは何の意味もないし現実に役に立ちません。

少なくともどんな人でも、まずは衣食住の最低限のベーシックニーズは満たされる必要があります。すべての人が少なくとも飢えることなく最低限生きられるような社会・世界にまずはしましょう。

今なお、多くの国々が莫大な予算とエネルギー・資源を軍拡競争・軍事力の拡大に注ぎ込み続けている一方で、多くの人が日々行われているムダな仕事やいのちのあり方からはあまりにかけ離れた社会の維持に、膨大なエネルギーを注いで疲弊しながらもますます地球の自然環境を悪化させています。

こういったことに使われている膨大な人間のエネルギーと予算、もしこれを全人類の福利と利益のために、各地での食糧生産や分配、そしてあらゆるすべての人に少なくとも最低限の衣・食・住を提供する方向に振り向けることができるならば、現在いまだに世界中で問題になっている貧困や、それが原因となって引き起こされている犯罪や自殺、あるいは戦争など人類が抱えている多くの問題を、現在かけている労力よりもずっと少ない労力で解決することができるはずなのです。

はじめから恵まれていた人たちだけがさらに恵まれて生きられ得をする社会・恵まれていなかった人や失敗した人は不遇の生を送らなければならない弱肉強食の世界と、すべての人が最低限生きられることが人権として保障されていて、かつそれゆえにすべての人がその個性や傾向に応じて最大限の可能性を追求していける社会、あなたはどちらがいいですか?

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