管理人の一問一答

管理人のメモ置き場
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生きるのがつらいです。前向きに生きるにはどうしたらいいでしょうか?

自分自身の体験を元にお答えします。

【自己価値観・自己肯定感が低い問題について】

私の母親は自殺しました。

父親からは「お前なんかさっさと死んでしまったほうがいいんじゃねぇか?」と言われて育ちました。

首元に包丁を突きつけられたこともあります。

自己肯定感・自己価値観が低かった。

今も別に高い・高くなったというわけではありません。ただ、今は以前のように「やはり自分は死んだ方がよいのではないか」とは考えなくなりました。

どうやって自分が回復していったのか、以下に自分の例を書いてみます。

【違う世界に触れた】

訪れた人が「大好き!(また行きたい)」と「大嫌い!(もう二度と行きたくない)」に明確に分かれると言われる国、インド(写真はバラナシ)


苦手だった英語を勉強して初めて海外旅行に行きました。25歳の時です。

行った国はインドです。

印象としてはまるで戦争が起こったあとの荒廃した街の中を歩いているようでした。

よく本や旅行記などに書かれているように、本当に乞食や体の障害を持っている人も多く、例えば両足がなく車輪がついた板の上に乗って手で移動している人や、もはや板も持っておらず道の上を体を横に回転させながら移動している人もいました。

しかしそんな苛烈な状況の中で生きている人たちの中にもなぜか表情が明るい人も多く(多分自分なんかよりずっと明るい)、たった1ヶ月程度でしたがその体験は強烈な印象を自分の中に残しました。

【違う生き方を始めた】

その後も働いてはお金をためて海外に出ることを繰り返しました。

私にとって日本という国はとにかく生きづらい・生きづらさを感じる国でした。

しかし一般に日本の人から「途上国」と呼ばれているアジアの国々では、人々は明るく気さくで、物価は安く、動物たちも自由に生きていてふれあうのに事欠くことはなく、気候は暖かい。

貧しい、先進国から見たら「後進国」と呼ばれているはずの国々の方がずっと生きやすいということにはっきり気付いてからは、ほぼずっと海外で生活しています。

海外では店の軒先や路上で初めて会った人とでも会話がふつうに始まる。
言葉の壁がないはずの日本の方がハードルが高かった。なぜなのか。。。

【畑を耕した(野菜や花など植物を育てた)】

また、ちょっと田舎に滞在していた時に土地が余っていたので、家庭菜園を始めてみました。

それまで植物などまったく育てたことがなかったのですが(子供の頃はテレビゲームばかりしていた)、これもまた素晴らしい体験でした。

人間食べなければ生きていけません。そしてその食糧とは主に植物から、つまり土からできているものです。(動物の肉も結局、もとを辿ればすべては植物の栄養から育ち生きています)

つまり私たちは地球の一部です。

すべての人が少なくとも一度は農業、というか土に触れ植物を育てる経験をすべきだと思いました。これによって自分の心はまた軽くなりました。

畑で一仕事して腹が減ったので、自分で育てたトマトをもぎ取り食べたら、う、美味い……!!こんな経験を誰もが一度は経験すべき

【動物と触れ合った】

アジアなどの国では基本的に動物は自由に生きています。

文字通り、どの通りにも野良犬がいるという感じです。

でも日本で想像されるような野良犬と違って、現地の人が動物に優しいので彼らも攻撃的ではありません。

バンコクのような大都会でも、ちょっと脇の路地に入れば野良犬が寝そべっています。

特にインドだと牛も多いし、自分が食べたバナナの皮を直接あげたり、とにかく動物との触れ合いに事欠きません。

生まれて間もない子犬をみかけることも日常茶飯事です。

日本ではこういう風景はほぼ失われてしまいました。

実際のところ、これは結構重要なことだと個人的には思っています。つまり先進国に鬱や心の病を患っている人が多いのは、動物や自然の在り方とあまりにも乖離し過ぎた生活を送っているのが大きな原因の一つではないかと思うのです。

インド、プシュカルで子牛の頭をなでなで

【自分の興味あることをいろいろ試してみる。得意なことができれば自信もつく】

あとはもう自分が興味あることをとにかく色々試して、本当に自分が好きなことややりたいこと、意味・意義を感じられること見つけるしかないのではないでしょうか。

自分が今知っている現状の世界だけでは、その中で行き詰まり、希望が見えないかもしれません。

今の自分が持っている限定された認識や価値観・知識・経験の中で結論を出そうとすれば、自ずとその結論も限定されたものになってしまいます。

「置かれた場所で咲きなさい」ではなく、自分にとって生きやすい、気分が楽に・明るくなれる環境や未知の可能性を求めていくことはとても大事なことではないかと思っています。

【大山倍達・ロシアの文豪ドストエフスキーのエピソード(体を動かす)】

お腹の調子が悪いとかはないですか?(下痢や便秘が多い、など)

腸内で作られるセロトニンが足りないと鬱になりやすいとか言われています。日光を浴びる、とかも大事のようです。

体を動かすということについて、以下の大山倍達の本にあったエピソードを紹介している記事も参考にしてください。

ご存知かもしれませんが大山倍達は極真空手の創始者であり、素手(空手)で猛牛や猛獣、いろんな人と戦ったすごい人です。(笑)
(ちなみに極真空手は世界中に広まってます。アフリカやネパールでも現地の人たちが極真空手を習ってました。)

以前、自分もこの本を読んだことがあり、印象に残ったエピソードです。

細胞を活性化させよ!

身体を動かせば、細胞は喜びます。言うことは利巧で素晴らしくても、土壇場に弱ければ外部からの攻めには屈してしまいます。仁愛を説き知を説く儒教的な考え方は、モラルは厳しいけれども、身体の鍛錬がかけているのです。

ロシアの文豪ドストエフスキーは、シベリアに流刑され監獄生活を送ったときに、酷暑の中で毎日、朝から晩まで瓦を運ぶ仕事をさせられました。その時の気持をこう語っています。

『 あのときは、錬瓦を引っ張る縄が、私の肩に喰い込み、血が滴り落ちたものだ。だがその労働がだんだん愉快なものになってきた。それまで瘦せ細っていた私の身体は、みるみるうちに頑丈になり、体力は急に充実してきた。

そのころまで私は、生きようか、死のうかと迷いながら生きていた。それがどうだ!

錬瓦を運ぶほどに生きていることが、何だか嬉しくなってきた。私はだんだん、生の賛美者になってきた。そして強く感じた。どんな境遇にあっても、健やかに生きるということが無上の楽しみ、無上の喜びであることを…』

出典:「 極真大道 」より

渾身の力で挑み、汗を流せば、全身の骨格と筋肉の細胞が生き生きとしてくるのを感じます。このとき感じる歓喜は、細胞が活性化しているという喜びでしょう。こういった感覚は人生観をも変えてしまう力を秘めています。

頭だけを疲労させていると、体の細胞が退化して、神経が病んでいくのです。
気合を入れて、サンドバックを思いきり殴り、蹴れば治る心の病かもしれません。

実践なくんば証明されず。証明なくんば信用されず。信用なくんば尊敬されない。という格言を残されていますが、まさに実践あるのみ、机上の空論ではない現実味を帯びています。

気持ちを変えるには、このことが全てを物語っています。


この、『そのころまで私は、生きようか、死のうかと迷いながら生きていた。それがどうだ!錬瓦を運ぶほどに生きていることが、何だか嬉しくなってきた。私はだんだん、生の賛美者になってきた。。。』という一節は自分もまさに畑を耕していた時に経験したことです。


あるいは自転車をこいで北海道を一周していた時(テントで各地で野宿していました)。

あまり細かいことは気にならなくなります。

別に空手をやる必要はないですが、何らか楽しみながら体を動かすことは大事だと思います。

自給自足農家のお手伝いをしてみたりWWOOFに応募してみるのも一案



例えば、私も以前お世話になったことのある長野県の大鹿村にある、自給自足を教える「大鹿ふりだし塾」で有機農業を手伝いながら体を動かしてみるのはどうでしょう?

オーナーはゲタさんといい、元ヒッピーで下駄を履いてインドなど世界を放浪してた面白い人です。

こういった場所で農作業などをして大自然の中、土に触れ、細かいことはとりあえず忘れて健康的な生活を送るのも自分を変えていくのによいチャレンジだと思います。

また、WWOOF(World Wide Opportunities on Organic Farms)という制度があり、ボランティアを受け入れている有機農家(ホスト)さんが他にもたくさんあります。農作業を手伝う代わりに、食事・寝る場所は無償で提供されます。

以上、ご参考になれば幸いです。

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